Deja vu
- Yushi Suga
- 11月13日
- 読了時間: 8分
店内アートスペースFOAM CONTEMPORARYにて、アーティスト菅雄嗣と渡邉太地による二人展「店内アートスペースFOAM CONTEMPORARYにて、アーティスト菅雄嗣と渡邉太地による二人展「Deja vu」を2025年10月11日(土)~10月29日(水)に開催します。
本展では、1851年世界初の万博会場としてロンドンに建設され、当時としては革新的な技術とスケールを誇った「クリスタル・パレス」を共通のモチーフとした作品を、会場内をふたつに仕切り、それぞれ独立した空間に展示します。菅は、産業革命の象徴とされたクリスタル・パレスを、人の不在や時間の経過によって、日常的な場所でありながら境界的な性質を持った空間「リミナルスペース」の起源と捉え、建造物の“内側”を描きます。一方で渡邉は、かつて訪れたロンドンの記憶を手がかりに、菅の描くクリスタル・パレスの“外側”を抽象的なイメージとして描き出します。色彩や構図の呼応や、具象と抽象の対比、シンメトリックな要素を含んだ作品群は、鑑賞者に「どこかで見たような」感覚を呼び起こし、記憶や体験を揺さぶります。
菅雄嗣は、「境界を越えること」をテーマにした絵画とインスタレーションを手掛けています。絵画では、絵具を塗るだけでなく削るという操作が施されており、鏡面のような質感や反転する構図が、視点や光の変化によって多様な印象を生み出します。近年は「リミナルスペース」に注目し、現実と虚構が交錯する場を創出しています。
渡邉太地は、絵画を「空間をひらく装置」と捉え、「どこでも窓」というテーマのもと、抽象的な風景画を制作しています。窓というフレームを通して、目に見える景色にとどまらず、その場に漂う気配や、身体を通して感じるエネルギーまでも表現しています。
展覧会に寄せて(文化研究者山本浩貴)
いずれも絵画を中心に制作する美術家・菅雄嗣と渡邉太地の二人展は、「デジャブ(既視感)」がテーマである。「二人展」と銘打ってはいるが、本展は実質的に個展の組み合わせで構成され、二分割された空間には、類似のモチーフや色彩を含む菅と渡邉の作品が展示される。とはいえ、ふたつの空間は完全な対象性を帯びているのではなく、わずかなズレをはらんでいる。つまり、本展は個展とも二人展とも言いがたい構造をしている。逆に言えば、どちらの展覧会形式に対しても、意図的に批判的な距離感を保っている。本展において2人のアーティストをつなぐ共通のインスピレーション源は、1851年に開催されたロンドン万博の会場であった「クリスタル・パレス(水晶宮)」である。この建造物は、今日では現存しない。
大局的な目で見ると、菅は、絵画を通じて一貫して「境界」を探求してきた。キャンバスの全体に鏡のような加工を施し、そこに絵の具を置いたのち、そのキャンバスを直線で二分割し、置いた絵具の一部を削りとる手法は菅が得意とするものだ。その手法は、あたかも写真のネガとポジが、ひとつのタブローに同時に存在するような表現を生む。そうした絵画を通じて、菅は、存在と不在のはざまで揺らぎ、それゆえに不気味さをたたえる「リミナル・スペース(境界の空間)」を探求してきた。本展で、菅はクリスタル・パレスをリミナル・スペースの「起源」と捉え、そのイメージを起点に新作を展開する。
一方、渡邉は絵画を可動的な「窓」とみなし、そのフレームが捕捉する「景色」を前景化する。渡邉が提示するイメージは一見すると抽象的だが、そこに充溢する具体的な磁場の表象である。それは人為を超越した圧倒的な自然に接したときに感じる畏怖や崇高の念がもたらす、ある種のエネルギーの具現化に近い。そのような渡邉の作品は、むしろ鑑賞者それぞれの経験と混じり合うことで具象性を獲得する。本展では、かつてクリスタル・パレスが建っていた場所を訪れた記憶を頼りに、渡邉は、そこに流れるエネルギーを絵画のなかで再現前化すること試みる。
菅の作品は、新しいCG技術を駆使して、同時に現存する不完全な資料を活用し、かつてあったクリスタル・パレスという建造物をリミナル・スペースのアーキタイプ(原型)として現代に蘇生させる試みである。対照的に、渡邉の作品は、自身がクリスタル・パレスの跡地を周遊した身体的な経験に即して制作されている。だが、そのなかで渡邉が再現しようとするのは、菅が構築する架空のクリスタル・パレスの外側に獏として広がる景色であるとも言える。すなわち、菅が描く過去と渡邉が描く現在は、この歴史的な建造物を蝶番のようにして、時を超えて相互に接続している。そして、そうした時間軸の往還が組織する互恵的な接続性は、彼らの絵画が提示する鑑賞体験の強度を指数関数的に増幅させるのである。
」を2025年10月11日(土)~10月29日(水)に開催します。
本展では、1851年世界初の万博会場としてロンドンに建設され、当時としては革新的な技術とスケールを誇った「クリスタル・パレス」を共通のモチーフとした作品を、会場内をふたつに仕切り、それぞれ独立した空間に展示します。菅は、産業革命の象徴とされたクリスタル・パレスを、人の不在や時間の経過によって、日常的な場所でありながら境界的な性質を持った空間「リミナルスペース」の起源と捉え、建造物の“内側”を描きます。一方で渡邉は、かつて訪れたロンドンの記憶を手がかりに、菅の描くクリスタル・パレスの“外側”を抽象的なイメージとして描き出します。色彩や構図の呼応や、具象と抽象の対比、シンメトリックな要素を含んだ作品群は、鑑賞者に「どこかで見たような」感覚を呼び起こし、記憶や体験を揺さぶります。
菅雄嗣は、「境界を越えること」をテーマにした絵画とインスタレーションを手掛けています。絵画では、絵具を塗るだけでなく削るという操作が施されており、鏡面のような質感や反転する構図が、視点や光の変化によって多様な印象を生み出します。近年は「リミナルスペース」に注目し、現実と虚構が交錯する場を創出しています。
渡邉太地は、絵画を「空間をひらく装置」と捉え、「どこでも窓」というテーマのもと、抽象的な風景画を制作しています。窓というフレームを通して、目に見える景色にとどまらず、その場に漂う気配や、身体を通して感じるエネルギーまでも表現しています。
展覧会に寄せて(文化研究者山本浩貴)
いずれも絵画を中心に制作する美術家・菅雄嗣と渡邉太地の二人展は、「デジャブ(既視感)」がテーマである。「二人展」と銘打ってはいるが、本展は実質的に個展の組み合わせで構成され、二分割された空間には、類似のモチーフや色彩を含む菅と渡邉の作品が展示される。とはいえ、ふたつの空間は完全な対象性を帯びているのではなく、わずかなズレをはらんでいる。つまり、本展は個展とも二人展とも言いがたい構造をしている。逆に言えば、どちらの展覧会形式に対しても、意図的に批判的な距離感を保っている。本展において2人のアーティストをつなぐ共通のインスピレーション源は、1851年に開催されたロンドン万博の会場であった「クリスタル・パレス(水晶宮)」である。この建造物は、今日では現存しない。
大局的な目で見ると、菅は、絵画を通じて一貫して「境界」を探求してきた。キャンバスの全体に鏡のような加工を施し、そこに絵の具を置いたのち、そのキャンバスを直線で二分割し、置いた絵具の一部を削りとる手法は菅が得意とするものだ。その手法は、あたかも写真のネガとポジが、ひとつのタブローに同時に存在するような表現を生む。そうした絵画を通じて、菅は、存在と不在のはざまで揺らぎ、それゆえに不気味さをたたえる「リミナル・スペース(境界の空間)」を探求してきた。本展で、菅はクリスタル・パレスをリミナル・スペースの「起源」と捉え、そのイメージを起点に新作を展開する。
一方、渡邉は絵画を可動的な「窓」とみなし、そのフレームが捕捉する「景色」を前景化する。渡邉が提示するイメージは一見すると抽象的だが、そこに充溢する具体的な磁場の表象である。それは人為を超越した圧倒的な自然に接したときに感じる畏怖や崇高の念がもたらす、ある種のエネルギーの具現化に近い。そのような渡邉の作品は、むしろ鑑賞者それぞれの経験と混じり合うことで具象性を獲得する。本展では、かつてクリスタル・パレスが建っていた場所を訪れた記憶を頼りに、渡邉は、そこに流れるエネルギーを絵画のなかで再現前化すること試みる。
菅の作品は、新しいCG技術を駆使して、同時に現存する不完全な資料を活用し、かつてあったクリスタル・パレスという建造物をリミナル・スペースのアーキタイプ(原型)として現代に蘇生させる試みである。対照的に、渡邉の作品は、自身がクリスタル・パレスの跡地を周遊した身体的な経験に即して制作されている。だが、そのなかで渡邉が再現しようとするのは、菅が構築する架空のクリスタル・パレスの外側に獏として広がる景色であるとも言える。すなわち、菅が描く過去と渡邉が描く現在は、この歴史的な建造物を蝶番のようにして、時を超えて相互に接続している。そして、そうした時間軸の往還が組織する互恵的な接続性は、彼らの絵画が提示する鑑賞体験の強度を指数関数的に増幅させるのである。
会期: 2025年10月11日(土)~10月29日(水)
会場: 銀座 蔦屋書店 FOAM CONTEMPORARY

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