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The shape of time

  • Yushi Suga
  • 11月13日
  • 読了時間: 2分

本展「時のかたち」は、菅雄嗣と増田将大の二人展である。


菅は、絵画を通じて、その手法はさまざまに異なるが、一貫して「境界」を探求してきた作家である。たとえば、菅はキャンバスの全体に鏡のような加工をほどこし、そこに絵の具をのせていく。ついで、そのキャンバスを直線で二分割し、のせた絵具の一部を削りとることで、あたかも写真のネガとポジのような表現をつくりだす。近年、菅は現実と虚構の境界としての「リミナル・スペース」に関心をいだく。その現実性と虚構性の両方をはく奪された空間は、どこか主体性を喪失した中間領域であり、菅が描くリミナル・スペースは、ときの流れから切り離された不可思議な印象をあたえる。


増田もまた、「境界」、それもとりわけ菅と同じく、現実と虚構の境界に関心をもちながら作品を制作してきた作家だ。増田は風景などの対象を撮影し、その像をプロジェクターで繰り返し同じ場所に投影する。それをシルクスクリーンで刷る工程の反復をつうじて、絵具が幾重にも重なる多層構造の絵画がうまれる。増田が絵画のなかに生成する空間も、菅が関心をもってアプローチしてきたリミナル・スペースに近似している。ゆえに、菅と増田の両者とも、空間への関心をもつことは明白だ。しかし、増田が表現する空間が重厚な物質感で満ちているのに対し、菅が描く空間は空虚な喪失感をたたえている。この顕著な違いは、どこからくるのだろうか。


それは、「空間」にかんして類似の関心をもつ両者の絵画が、「時間」にかんしては大きく異なるスタンスをとっていることに由来するとわたしは考える。すなわち、菅が絵具を削ることで作品から時間をはく奪していくのに比べ、増田は絵具を重ねることで作品に時間を堆積させているのだ。


そのようなわけで、菅雄嗣と増田将大の絵画作品における空間的な類似に自然と目が向けられるが、同時に両者の時間的な差異にも注目してもらいたい。本展では、類似と差異をつうじて、菅と増田の芸術実践のさらなる意義が対位法的にうかびあがる。ふたりがコラボレーション的な手法で新たに制作したCGを用いた映像作品も、そうした類似と差異を際立たせる仕かけとなっている。


文化研究者・山本浩貴氏

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